【京都検定】古都学び日和

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【京都府立植物園】天才的数学者 岡 潔 の言葉を添えて

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小さく見えるのが比叡山。啄木「やわらかに柳青める北上の」ならぬ柳青める北山の…。

(植物園 北山門付近にて。訪問日:2020年3月18日)

 

数学者の岡潔(おかきよし)をご存知ですか。数学史上最も偉大な業績を残した学者の一人です。

1901年生まれ1978年に逝去した岡潔ですが、私が知ったのは没後30年以上も経ってからです。

大数学者でありながら、思想家でもある彼のエッセイや対談集を読んで衝撃を受け、いくつかの言葉が今も鮮明に心に残っています。

 

最も衝撃を受けたのが、最初に読んだ『春宵十話』のいきなり1行目。数学者とは思えない一言から始まります。

「人の中心は情緒である」

 

今日、ふと思い立ち植物園を散歩していて、岡潔の言葉がいくつも浮かんできました。

春爛漫を迎えた植物園の美しい花々と共に、その人物像と言葉を紹介します。

 

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桜かな…と思ったら

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杏(あんず)でした

 

「大学(京都帝国大学理学部)卒業後、(フランスソルボンヌ大学への)留学前の時期に植物園前に住んでおり、植物園の中を歩き回って考えるのが好きだった」(p.38)

 

子どもの頃から秀才だったのかと思いきや…

 

「小学校六年になると応用問題にむずかしいのがあり、碁石算や鶴亀算がうまく解けた記憶がない。(和歌山)県立粉河中学の入試にも落ちてしまった」

「中学二年のとき初めて代数を習ったが、三学期の学年試験では五題のうち二題しかできなかった」(pp.20-21)

 

そんな彼でしたが、偶然読んだ数学書の定理に「神秘感」をもち、数学の世界にのめり込んでいきます。

 

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「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えてきた」(p.3)

 

世間の評価や利益の有無を気にするのではなく、ただ学ぶ喜び、発見する喜びがあるゆえに、その喜びを食べて生きているというのです。

他者との比較とは無縁に、精一杯自らの今を生きる植物に似ていませんか。

 

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寒緋桜(カンヒザクラ)。名前の通り、早いものは1月から咲く深紅の花

 

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河津桜(カワヅザクラ)。その奥が半木神社の鳥居。

 

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ボケの花は色々。

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ボケなんて名前つけられちゃって…と思うのも人間の勝手。この花のあずかり知らぬことですね。

瓜のような実をつけることから木瓜と書き「もっけ」と呼び、それが訛ったそうです。

きれいだなぁと見惚れていたら、カメラを持った女性が近づいてきて、「これはボケですよ。さっき、この先の池にカワセミがいたんですよ」と嬉しそうに話してくれました。

先程の河津桜の写真の向こうに写っている赤い鳥居が「半木神社」(なからぎ神社)。そこを取り囲むように池があり、そういえばカメラや双眼鏡を持ったバードウォッチャーがたくさんいました。   

                  

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賀茂川で見られる野鳥」看板より

 

ボケも、次に現れたサンシュ(👇)も、前回紹介した正法寺では幼木でした。こんなに大きく成長するとは驚きです。

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サンシュ(山茱)  和名はハルコガネバナ(春黄金花)   春を告げる花

「冬から春にかけてはぼくの大好きな季節なんですよ」(p.189)

 

岡潔は、「多変数解析函数論」における難問「三大問題」をたった一人で解き明かしました。一題解くだけでも大変な偉業なので、すべて解決したことで、海外では「岡潔」という研究組織があると間違われたのです。

 

どうしてそのような偉業を成し遂げることができたのでしょうか。

岡潔は次のように述べています。

 

「数学に最も近いのは百姓だといえる。種をまいて育てるのが仕事。数学者は種子を選べば、あとは大きくなるのを見ているだけのことで、大きくなる力はむしろ種子の方にある」(p.53)

 

これを読むと、魔法のように答えが見つかるかのようですが、そうではありません。ある時パッと花が開くには、土を耕し、肥料を与え、水を遣り、工夫を続ける知力と努力が要ると解釈できます。しかし知力や努力だけを延々と積み重ね続けるのではなく、あとは自然に委ねる… そうするとある瞬間に花が咲く、と言っているのです。

 

「発見の前に緊張と、それに続く一種のゆるみが必要ではないか」(p.38)

「自然の風景に恍惚としたときなどに意識に切れ目ができ、その間から成熟を待っていたものが顔を出すらしい」(p.39)

 

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ホソザクラ

 

考えても考えても分からない…それでも考える、という意識的プロセスを積み重ねていくことが大前提。

成熟の準備ができたところで、本人が無意識でいるときにインスピレーションが降りてくる、ということですね。アルキメデスも「わかった!」という瞬間、お風呂を飛び出したそうです。

寝起きやお風呂で閃くことは私たちも経験することですね。

 

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スノーフレーク

    「数学は芸術の一種である」 (p.134)

 

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トサミズキ。マンサク(まず咲く)の一種。

「私は花が大好きであり、そのことは私の人生にそれだけ豊かさをそえている」(p89)

 

一連の大発見は、彼の30代半ばから40代半ばにわたってなされました。その後奈良女子大で長らく教授を務め、「奈良は日本文化発祥の地、ほんとうに良い所だ」と述べています。

 

奈良女子大学退官後、京都産業大学教授となり、「日本民族」を講義しました。岡潔は数学者であると同時に、教育に関しても熱い信念がありました。古事記をはじめ日本文化や宗教についても徹底した考察をおこないました。突き詰めると、晩年の彼が繰り返し主張したことは、情緒の民である日本人らしく、「真・善・美」を追求せよ、という教えです。

 

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天を突くような巨木がこんなに揺れるほど、突如風が吹いてきた。

 

最後に、不穏な事態の終息が見えない今、岡潔が戦後の高度成長期(1960年代)に語った言葉を。

まるで今日のインタビューに答えているかのようです。

 

「ぼくはね、世界も日本民族もね、滅びなければいいがと思っているんですよ。いまは暗黒時代なんです。みんな眠っている。目覚めているのは百人に二人くらい。いまはギリシア時代の真善美が忘れられてローマ時代にはいっていったあのころと同じことです。軍事、政治、技術が幅をきかしていた。人間の最も大切な部分が眠っていることにはかわりないんです」(『春宵十話』新春放談 p.193)

 

追記:京都府立植物園は2020年4月3日~12日を臨時休園とすると発表しました(3月31日)。(桜の満開時期に混雑が予想されるため) 

 

 

引用文献:

岡潔 『春宵十話』 (光文社文庫, 2011)

 

参考文献:

岡潔 『春風夏雨』 (角川ソフィア文庫, 2015)

小林秀雄岡潔 『人間の建設』 (新潮文庫, 2011)

wikiwand: https://www.wikiwand.com/ja/%E5%B2%A1%E6%BD%94