桜の季節 — 待ち遠しいような、もっとゆっくり来てほしいような、落ち着かない気持ちになります。まさに、在原業平の❝世の中に桜がなければ、春の心はのどかなのになあ❞という歌そのものです。
しかも、現在のコロナ禍では、花盛りを謳歌する賑わいも避けなければなりません。
今回は、台風被害で30本も失われた平野神社の桜と拝殿に思いを馳せながら、神社の歴史と宮司の言葉を心に刻んでおきたいと思います。
歴史ある拝殿が倒壊
2018(平成30)年の大型台風による被害で、見るも無残な姿になった拝殿。
再建が進み、2022年春に完成予定とのことですが、歴史ある拝殿は失われました。倒れてしまった30本もの桜は、ボランティアの手で撤去作業が行われたそうです。
形あるものはいつか消えることをまざまざと思い知らされました。
倒壊した拝殿は、東福門院(後水尾天皇の中宮)により江戸初期に建立されたものでした。釘を使わない接木を用いて建てられ、建築家の模範とされてきた貴重なものです。
内部に飾られていた三十六歌仙の額はどうなったのか、気になります。造立当時の絵師、海北友雪(かいほうゆうせつ)*が描いたものです。火災ではないので、修復可能なら良いのですが。
*海北友雪:清水寺本堂の大きな絵馬を描いた人物。建仁寺方丈の雲龍図を描いた海北友松の子。
本殿とご祭神
平城京の田村後宮から神様を遷したのが始まりです。「後宮」とは、皇后や妃の殿舎。つまり、女性が住み、子供を育てる場所です。だからこそ後宮に鎮座していた神様は皇太子親祭(自ら祭祀をおこなう)対象となりました。平安中期は、伊勢神宮・上賀茂神社・下鴨神社・石清水八幡宮・松尾大社に次ぐ名社に数えられました。以降、臣籍降下した源・平・菅原・秋篠など各家の氏神として崇敬されました。
さて、ご祭神ですが、私はてっきり春日大社の四神と同じだと思い込んでいました。
本殿が、左右に二神ずつ祀る「比翼春日造」と称されているからです。
京都検定のために暗記をしていたに過ぎず、「平野神社」=「比翼春日造」…名称と漢字を間違わずに書けるかどうか、というどうでもいい勉強をしていたことを恥じています。
ご祭神の四柱は、まったく知らない神様でした。
〇第一殿:今木皇大神(いまきのすめおおかみ)
〇第二殿:九度大神(くどのおおかみ)
〇第三殿:古開大神(ふるあきのおおかみ)
〇第四殿:比賣大神(ひめのおおかみ)
しかし、先に述べた「後宮」の意味を意識し、神様の名前をよ~く見て声に出すと、ストンと納得します。
九度大神は くど=おくどさん=竈(かまど)の神。
古開大神の「古」は「ふる」=神道でいう「魂ふり」、「開」は「解き放つ」「明らかにする」という意味から邪気を祓う神。
比賣大神はその名の通り、女性性を表すので、「生産」の神。
そして主祭神の今木皇大神については、またも早とちりしそうになりました。
大辞泉を引くと、「今木」=「新来」、つまり渡来系の神、桓武天皇の外戚の祖神説が書かれています。「そうか、桓武天皇のお母さん(高野新笠)は百済の人だから」と妙に納得してしまいました。しかし、この説を神社は否定しています。江戸時代の国学者による改ざんがあったというのです。
神社では今木皇大神を「源気新生」の神、としています。「今」=現在、「木」=大きく太くまっすぐに育つ樹木の神という解釈です。
そう考えると、生まれてきた子がすくすくと成長するよう、食を中心とした生活安定や邪気払いの神々を後宮に祀っていたことに納得します。(当初は今木・九度・古開の三神だったようです)
宮司の言葉
久しぶりに10年ほど前に読んだ集英社の『古社名刹 巡拝の旅』を引っ張り出しました。
当時は読み流してしまっていた宮司の尾崎保博さんの言葉が、今は心に沁みます。以下、引用です。
仏教は、法を説く仏の教えであるのに対し、神道は「道」。神は人の生活の中にあって、歴史をつなぐ存在。歩いてみて解ることであり、そこに教えはないのです。その「道」とは何か? それは先祖が歩んできた道を歩んでいくことに他なりません。伝統を伝える歩みのラインの、その線上の「今」を歩むことそのものに、意義が見いだせるのではないでしょうか。
まさに「中今」思想ですね。刹那的な今ではなく、途方もない年月をかけ、途方もない数の先祖が命をつないでくれたからこその、延長線上にある「今」。
物質は台風で壊れたり、失われたりしても、精神は生き続けるし、新しい樹木はまた育っていく。いろいろなことが起こっていても、「今」無事でいられることに感謝して、目の前のことをしっかり進めていこうと思います。
桜の季節になり、平野神社が気になったことから、あらためて歴史を学び直し、浅薄な知識を恥じ、最後には一番大事なことを再認識することができました。
🌸桜花祭について🌸
菅原道真をしのぶ北野天満宮の「梅花祭」(2月25日)と共に、平野神社の「桜花祭」(4月10日)も京都を彩る花の祭事です(平野神社は、天神川をはさんで北野天満宮の北西に位置する)。
桜花祭は、花山天皇が境内に桜をお手植えされた故事にちなみます。花山天皇といえば、藤原兼家の策謀により、わずか19歳で出家、「西国三十三所巡礼」を再興したことでも知られています。
(花山天皇を追いやった後、藤原兼家の子、道長が権勢を振るう時代がやってきます)
平野神社からほど近い北区衣笠に、花山天皇(40歳で崩御)の御陵があり、祭りは御陵への奉告で幕を開けます。
天平時代から元禄時代までの雅な時代風俗列も有名ですが、今年は祭事のみ執り行われるようです。
参考文献:『古社名刹 巡拝の旅』40号(集英社, 2010年)
平野神社Official Website: https://www.hiranojinja.com/home/revive