北野天満宮のほど近くに、「椿寺」として親しまれる小さなお寺があります。正式名称は昆陽山(こやさん)地蔵院。嵐電の北野白梅町駅から徒歩4分。西大路一条の角地なので分かりやすい立地です。
3月8日「最初の一輪が咲きました」、というお寺のブログ「椿寺だより」を見てから、ずっとソワソワしていました。速水御舟の描いた「名樹散椿」はこちらの椿だと知ってからの念願、やっと叶いました。
門前で声をかけてくださった地元の方が、「大した観光資源はありませんが」などと言われましたが…。
いえいえ、とんでもない。深い歴史があることを知って、そして名樹見たさに訪ねてきたのです。
観光客で超満員となっている市バスを避け、お天気も良いので北大路から1時間ほどてくてく歩いて。
画家 速水御舟が描いた「名樹散椿」
まだまだたくさん蕾をつけていましたので、これから次々と異なる色合いの花が開きそうです。
名前が表すとおり、花弁が一枚一枚散っていくので、地面に散り積もったところも美しいことでしょう。
速水御舟の「名樹散椿」についてはこちら👇
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/282493
数々の歴史上の人物と共に
地元の方がもっぱら「椿寺」と呼ぶ地蔵院には長い歴史があります。
奈良時代、摂津国(兵庫県)の昆陽池(こやいけ)のほとりに、かの有名な行基が建てた「地蔵院」が始まりです。
平安時代には京の衣笠山の南に移され、七堂伽藍が整った名刹となりました。
ところが、室町時代に山名氏清らが足利義満に対して起こした反乱によって焼失してしまいます。
足利義満はこの寺の荒廃を惜しみ、金閣造営の予材をもってお堂を建てて、地蔵菩薩を祀りました。
現在「地蔵堂」に祀られている「鍬形地蔵」がご本尊でした。
現在地に移したのは、やはり豊臣秀吉。彼の都市計画により、お寺はことごとく移動させられました。多くは寺町通に整列させられましたが、地蔵院はここ、北野天満宮のすぐ近くに移されました。北野天満宮と言えば、秀吉の一大イベント「北野大茶の湯」。そこに、加藤清正は朝鮮から持ち帰った「五色散椿」を献上しました。大茶会の後、その椿を秀吉がこの寺院に献木したと伝わります。
江戸時代になって、知恩院の末寺として浄土宗に改められたので、お地蔵さまはご本尊ではなくなりました。
しかしながら、門を入って左右に咲き誇る椿の奥、真正面に地蔵堂があります。拝ませて頂くと…
そのお姿たるや、頭巾のようなものを被られ、お化粧をしたチャーミングなお地蔵さま。優しいお母さんのようです。一心に手を合わせて、去り際にふと気づくと「安産祈願」とありました(^^;
「椿寺だより」のサイト👇
⁑昆陽山地蔵院について⁑
現在のご本尊「五劫思惟阿弥陀如来」(本堂)
洛陽三十三所観音霊場 第三十番札所 「十一面観音」(観音堂)
お厨子の中の十一面観音立像は慈覚大師の作と伝わる