臨済宗の大寺院、大徳寺には多くの塔頭がありますが、ほとんどが通常非公開です。その中にあって、通年公開しているのは4つのみ。北派の本庵「大仙院」と南派の本庵「龍源院」、塔頭の「高桐院」と「瑞峯院」です。
龍源院と瑞峯院の石庭は個性派ぞろい。
早春なのにしぐれる日が多いこの頃、抜けるような青空に「今日だ!」と思い立ち、訪れました。
新型コロナウィルスの影響で、ほぼ独占状態。写真もご自由にと言ってくださいました。
端正な石庭を眺めながら過ごす、静けさと陽光に包まれた贅沢な時間の始まりです。
朱色の大徳寺山門(金毛閣)。千利休が出資して完成したので、楼上に利休の木像が掲げられました。それを咎めた秀吉により利休が切腹に追い込まれた事件はよく知られています。
龍源院(りょうげんいん)は大徳寺山門の目の前にあります。
受付入ってすぐの書院軒先の「滹沱底」(こだてい)。
左右の石がセットで「阿吽の石庭」。
京都検定の受験者泣かせは名称の難しさです。
臨済宗の宗祖、臨済禅師の出身地である中国河北省の滹沱河から銘があるそうです。
方丈へと入ります。方丈とは禅宗寺院の正殿(和尚の住居)のことです。
方丈庭園に腰を下ろす前に「真前」(真ん中の部屋の仏壇)にお参りするのがマナーです。
まず南側の広々とした「一枝坦」(いっしだん)から。
まあるい苔山は「亀島」。白砂は大海原を表しています。右手奥に見えるのが、仙人の住む不老長寿の島「蓬莱山」。
手前にあるのが「鶴島」ですが…
どれが何を表しているかは、知らなくてもよいと思います。全く別のとらえ方をしても良いのでは…? 白砂が大宇宙で、石が惑星とか。まあるい太陽から光線が放たれているとか。
「一枝坦」の「坦」の文字は、「ひろい、おおきい、やすらか」を表します。視界に入ったとたんに受けた印象そのものです。「一枝」は、この龍源院を開いた東溪宗牧(とうけいそうぼく)禅師の室号「一枝之軒」から銘されました。
伸びやかな「陽」の雰囲気の南庭に対し、方丈北側の「龍吟庭」は固い「陰」のイメージです。「洛北の苔寺」にふさわしく、本来なら青々とした苔が大海原を表しているそうです。
室町時代の相阿弥の作と伝わります。中央に突出している岩は「須弥山」を表しています。
「この世界は九つの山、八つの海から成っていて、その中心が須弥山」(パンフレットより)で、「魏々としてそびえたち、人間はもちろん、鳥も飛び交うことのできない悟りの極致を形容している」(同)とのこと。
最後に、龍源院の中で一番興味があった「東滴壺」(とうてきこ)へ。写真集で見て、コンパクトながら素敵な庭だなあと惹かれていました。
自分で撮ると、なんだか…すみません。ぜひ直接行ってみてください。
我が国で最も小さな、格調高い石庭として有名です。
大河の一滴。最初のポチャリ、をイメージしたものです。
次に訪ねたのはキリシタン大名として有名な大友宗麟が創建した瑞峯院(ずいほういん)です。大友宗麟は22歳で禅宗僧として得度を受けていました。宗麟の戒名「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」が寺号の由来です。
ピンクの椿を愛でた直後、眼前に広がったのは…
大海原そのもの。写真では分かりませんが、キラキラと光る石粒(雲母でしょうか)が無数にあって、陽光に輝く海面のようです。方丈の前庭「独坐庭」です。
時刻は正午。誰一人いません。文字通り「独坐」状態で瞑想しました。頭上に太陽が来ていたこともあり、しばらくして‟暑いな…”と思った瞬間、正面からぴゅ~っと爽やかな風が吹いてきました。身体全体がふわりと浮上するような心地よさでした。
石組は蓬莱山(前述)で、大海の荒波が打ち寄せる中、悠々と独坐している様子を表しています。とにかくダイナミックです。昭和を代表する作庭家、重森三玲が作りました。京都には三玲の庭が各所にありますが、どれをとっても造形が大胆で魅力的です。
蓬莱山のその先は、入り江になっていて、茶室に続いています。
橋もかかっていて、本当に水が流れているようです。
去り難い独坐庭でしたが、もう一つの有名な石庭、方丈裏の「閑眠庭」へ。
こちらも重森三玲の作庭です。
‟閑眠高臥して青山に対す“の禅語から命じられたそうです。石の配置が十字架を表しているそうですが、私にはどうしても分かりませんでした。(この写真の反対側から見るように案内がありましたが、さっぱりでした…)
22歳で得度していた大友宗麟でしたが、晩年にはキリスト教を保護し、フランシスコ・ザビエルについて洗礼を受けたことから十字架がデザインされたとのことです。
帰り際、今度は白い椿が見送ってくれました。
私たちの強さを試すような出来事が連続して起こる世の中。
湧き上がってくる不安を鎮め、心を整えるために、草木も花も岩石も風も太陽も傍にいてくれます。
参考文献:
龍源院、瑞峯院のパンフレット
京都府歴史遺産研究会編『京都府の歴史散歩(上)』(山川出版社, 2014)